創業者の天野米吉は、大八車(だいはちぐるま)で荷物を運ぶ運送会社を始めました。
棒ハンドルの三輪トラックを購入したのは、当時の袋井市では一番乗りで、物珍しさで、見物客の人だかりが出来たそうです。そして、細かい作業もいとわず、様々な仕事をがんばってきました。
当初、主力だった養鶏業者様とのおつきあいも、鶏卵を集荷し、きれいに磨いて出荷をする作業を永年続け、『たまごやの天野屋』とも言われたそうです。
長男の天野竹一は若き頃、プロ野球界でピッチャーとして活躍した格好いい男前だったそうです。その後、戦争に出向き食糧事情等ですっかり体調を崩してしまい、野球人として続けることが叶わず、戦争から帰国してからは、療養しながら父の仕事を手伝いました。
その当時、東海道線袋井駅(現JR袋井駅)へ貨車で積み込まれて届く新聞を、朝・夕引取りに出向き、地域の新聞販売店へ届ける仕事をしたと聞いています。暑さ寒さ天候不順もいとわず、新聞を待っている人、つまり、配達に励んだそうです。
そのお陰もあって、地域の皆様に愛されていき、徐々に仕事が増え、トラックと社員を増やしていきました。
また、天野竹一の長男 天野和一は、稼業が忙しくなったのを感じ、元々勉強より体を動かすことが得意だったこともあり、あっさり高校を中退し、昼夜問わず猛烈に仕事に励んでいきました。
清水市(現 静岡市清水区)から袋井市へ飼料を運ぶ仕事を1日2回運行で頑張るかたわら、大型箱車・平ボデー車・ユニック車を数台保有し、関東から関西への貸切業務も行なってきました。
さらに、袋井市や周智郡森町の名産の「クラウンメロン・レタス・いちご・みかん・お茶」を、積み込んで、青果市場への搬入も手掛け、長男は、『気は優しくて力持ち、運転は非常に穏やかで、いつもニコニコしている』と評判だったそうです。通常の路線便や貸切便での発送が間に合わない夜中早朝の出来上がりの荷物を、「お客様の困ったを一つ返事で、自ら全国各地に間に合わせて届けて解決してくれた」と今でも有難がられています。
天野米吉・竹一・和一と代々受け継ぎ、それぞれのがんばりが基礎を築いてくれたことと、その時代時代の地域のお客様に支えられ、今があるお陰で、今も昔も変わらず、
想いが引き継がれて、地域の皆様に貢献しています。
期日未明 | 天野 米吉が荷車で養鶏場の卵の集配業務を始める |
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昭和24年 1月 | 袋井市永楽町にて、天野運送店を創業 天野 米吉が設立発起人となる 袋井駅に到着した新聞を新聞店に配達・清水市に飼料を引取りに行って配達 |
昭和46年 9月 | 一般区域貨物自動車運送事業の免許を取得 自動車運送取扱事業の免許を取得 軽車両等運送事業の免許を取得 流通倉庫事業の免許を取得 西濃運輸株式会社 正規代理店となり、地域配送を行う |
同 12月 | 磐田市 都商事の運送部門を吸収合併し、 地域に根差した磐周地区を網羅した運送会社にしていこうと、 袋井市国本3065番地にて、株式会社イワタ輸送センターを設立し、 代表取締役 天野 竹一が就任した。 同月【資本金700万円】に増資した |
昭和52年 8月 | 代表取締役 天野 和一 就任 |
昭和56年 5月 | 袋井市国本3009番地に事務所・倉庫1棟 建設・移転 |
昭和57年 7月 | 同地に倉庫1棟 建設 |
昭和60年 2月 | 磐田郡浅羽町(現袋井市)に倉庫1棟 建設 |
昭和62年10月 | 袋井市堀越357番地の1に事務所・倉庫 建設 |
平成 3年 8月 | 袋井市堀越438番地の1に事務所・倉庫 建設 |
平成 4年 9月 | 同地に事務所隣に倉庫1棟 建設 |
平成 4年12月 | 【資本金 1000万】に増資 |
平成 5年 6月 | 同地に事務所 移転 |
平成 6年11月 | 代表取締役 天野 奇三江 就任 |
平成26年 1月 | 西濃運輸株式会社「2013年代理店表彰 敢闘賞」 授与 |
平成26年11月 | 代表取締役 天野 恭子 就任 |
平成27年 1月 | 西濃運輸株式会社「2014年代理店表彰 奨励賞」授与 |
令和 2年 3月 | 令和元年度「健康づくり活動に関する知事褒賞」褒状授与 |
令和 2年 3月 | 公益財団法人 全日本トラック協会表彰「正しい運転・明るい輸送運動」受賞 |
令和 2年 3月 | 一般財団法人 静岡県交通安全協会「交通事故防止功労」受賞 |